エリクソンを追って
ミルトン・H・エリクソンは1901年12月にアメリカのネバダ州で農家の一家に生まれた。ミルトンは赤緑色盲と失読症を抱えていた。ミルトンは障害における普通の人との差に驚き、それは彼の好奇心を刺激し、人間の行動に対して深い研究心を育てることになった。またミルトンは生涯で二度にわたってポリオを発症し、生死の境をさまよい、重い後遺症をともなうことになった。
最初の17歳の時にポリオを発症した際、医師からその後の人生を寝たきりで過ごすと宣告された。彼は運動能力のすべてを喪失したため、もう一度一から能力を獲得しなければならなかった。彼は小さな弟や妹がハイハイをして立ち上がる過程を詳細に観察し、人間の動作を知識として深く理解し、それを自ら実践した。そのような独特な経験を通じて人間科学に対する興味が高まり、その後、精神科医として歩み、催眠療法を学んで自らアメリカ臨床催眠学会会長になり、催眠療法の普及に尽力した。
晩年、彼はアリゾナのフェニックスで臨床家として患者を治療し、彼の独特な治療方法、患者の持っているものを何でも利用してそれを治療に生かすというユーティライゼーションという方法を使って患者を一瞬のうちに治療し、魔術師と呼ばれ、全米から患者が殺到した。エリクソンはその後、教育的なワークショップを開き、エリクソンの治療技法を学びたい治療者や学生などに世界中を回って教えた。しかし、日本には残念ながら来日しなかった。
エリクソンの業績が心理療法に与えた影響は大きく、短期療法(ブリーフセラピー)や家族療法、NLPなどの技法はエリクソンの影響で新しくできた技法である。エリクソンの愛弟子 ビル・オハンロンはエリクソン催眠などの普及に努めた。なお、ビル自身は大学の時に重いうつ病にかかり、その後、エリクソンの技法を発展させてうつ病の治療方法を見出している。ミルトン・エリクソンが治療の中で話すメタファ(逸話)には治療効果があると言われている。
私はブログを通じてもエリクソンには近づけないだろうが、自分なりにメタファ作りに励むととともに、創作にも力を入れようと思っている。メタファではないが、保護観察の実録的な小説である田乃中保護司の事件簿 絆は全国の紀伊国屋書店やamazon kindle、楽天koboで販売されています。童話 駄菓子屋の銀じいさんの夏休みの宿題は、小学生が銀じいさんと出会い、様々な苦難を乗り越えて、最後、駄菓子屋を経営するまでのストーリーです。amazon kindle や楽天koboで販売されています。興味のある方はご一読ください。

